さあ、巻き返しはここから!ものづくり企業が実践する大阪大学フル活用
「技術はある。それを活かすため、力を磨けばよい」
ものづくりは、日本の強みのひとつ。
しかし、世界は、その強みをかき消すほどの勢いで変化する。
第4次産業革命による産業構造の転換を迎え、生み出される技術の有効期限はどんどんと短くなる。
今、生き残りのカギを握るのは“人的資本”。
世界では、持続的かつ迅速に変化に対応できるよう人材のスキルアップに向けた投資に積極的だ。
かつて私たちの遠い祖先は、厳しい自然環境のなかで互いに協力し、“もの”をつくりだす力を磨くことで、生き延び、文明を築き、次代へといのちをつないできた。
創世期から時を経ても、それは変わらない。
そして2023年の今、ものづくりの主戦場は超極小の世界に及ぶ。
リスキリング・リカレント・リトレーニングの3つのRを冠する「大阪大学エマージングサイエンスデザインR3センター(以下、R3(読み:アールキューブ)センター)」では、100社を超えるものづくり企業と手を取り合い、産業界の最前線が求めるナノテクノロジーを大学院レベルの社会人向け教育プログラムで提供する。
“ものづくり”と、それを担う“ひとづくり”。
今、脚光を浴びる社会人教育が、持続的な企業価値の向上にどのように作用するのか。日本のものづくりが、100年後の社会にいかに重要な意義を持つのか。その答えをR3センターの有識者たちと探った。
ものづくりは、社会を動かす力の根幹。日本の未来を開く鍵は、高度ナノテク人材が握る。
これまでの「ものづくり」の常識や分野を越えて、物理、化学、生物、電子工学、医学、情報、経済などが産業界と激しいスピードで融合している。この多くの領域の融合に対しても強みを発揮できるのは総合大学としての大阪大学だ。
大阪大学のR3センターでは、企業に勤めながら、高度な技術と技術分野における社会性・国際性を身に付けられる社会人教育プログラム「ナノ高度学際教育研究訓練プログラム」を2004年から開講している。
「いつの時代も社会を変えてきたのは新技術。『ものづくり』はその根幹にあります。きっと100年たっても変わらない。日本でも、半導体産業をはじめ、ものづくりを担う企業が基幹産業を生み出し、世界の技術革新、社会の発展に影響を及ぼしてきました。そして今、その対象は、ナノレベルに及んでいます。今後も日本が世界にその存在価値を示していくには、ナノテクロノジーに長けた人材の育成が必須です。」と語るのは、R3センターの藤原康文センター長だ。
ナノテク人材の育成と獲得。世界のものづくり産業の主戦場がナノテク領域にシフトし、高度化と競争がグローバルな規模で激烈化する今、人的資本はまさに生き残りをかけた最重要課題である。だからこそ、R3センターが提供する「ナノ高度学際教育研究訓練プログラム」は、変わりゆく社会ニーズに応じて20年もの間継続しており、これまでに1600人以上が履修し、国内随一の経験と実績を持つ。
デジタルと融合するナノテクノロジー。超極小技術がもたらす無限の可能性とパラダイムシフト。
ここで改めて解説するまでもないが、ナノテクノロジーとは、10-9の「ナノ」サイズの世界を扱う技術のことである。1ナノメートルは、10億分の1メートルで、例えるならば、髪の毛1本の直径(100μm)の10万分の1メートルという極小の世界だ。今や医療、エネルギー、家電などの消費財、輸送、材料、製造などあらゆる産業を支える基幹技術となっている。
私たちの日常にもはや必要不可欠となった、スマートフォン、タブレットなどのデバイスを実現したのは、ナノテクの一部である半導体技術の躍進があってこそ。こうしたナノテク市場は、米国での調査によると2022年から2030年の間に、世界年平均成長率37.1%で推移するとも言われている1。
「今後は、チャットGPTの登場で急拡大した生成AIなど人工知能技術をはじめ、新たなデジタル技術をナノテクノロジーにうまく導入しながら世界的なレベルでの技術力を維持すること、そして技術変革に対応できる人的資本が必要です。科学・環境・社会あらゆる分野を横断・融合した新しい技術を創造できて、広い視野と先見性を持って世界を俯瞰する人材を育成することがR3センターの目標です。」と藤原センター長。
人工知能技術とナノテクノロジーとが融合し、私たちの世界にイノベーションの嵐が吹き荒れている。これまでナノテクノロジーとは無縁だと考えてきた企業や個人にとっても、もはや無視できないパラダイムシフトが起きている。
次世代ナノテク人材を大学と共に育てる。産業界のニーズを満たす確かな社会人教育プログラム。
ナノテクロジーの進展は半導体をはじめとする電子機器の小型化など、時代ごとに新たな価値を創り出し、社会の変化を牽引してきた。その応用分野は劇的な広がりを見せており、時代の変化に対応する優れた人材の育成は企業の持続可能な成長の鍵となる。大阪大学は、2002年に国内の大学で最初のナノテクロジーの研究センター(産業科学ナノテクノロジーセンター)を立ち上げるなど、これまで国内外をリードしてきているナノテクロジー研究拠点の一つだ。
「ナノ高度学際教育訓練プログラム」で特筆すべきは、100社以上の企業とR3センターが密に連携する「大阪大学ナノ理工学人材育成産学コンソーシアム」の存在と、コンソーシアム加盟企業の社員を対象とした受け入れスタイルだ。大学だけで教育プログラムを考えるのではなく、加盟企業と丁寧に意見交換を重ね、社会課題への意識を共有してきたからこそ、「企業が今本当に必要としている」地に足のついた教育プログラムを20年以上にわたり提供し続けることができた。
また、総合大学の強みを活かし、あらゆる分野で大学院レベルの学びが可能である点も特長のひとつだ。分野を横断して研究科・研究所等と協力し、大阪大学が誇る3000名以上の研究者や外部の専門家が講師を務められる体制となっている。これまでにR3センターのプログラムに社員を送り込んだ企業担当者からは、「一つの分野だけでは個人も企業も生き残れない時代。大阪大学のプログラムなら多分野を学べ、将来のイノベーションにつながる。会社の人材育成プログラムとして大いに活用しています。」と期待が寄せられている。
業界のトレンドも、先端スキルも。本当に必要な学びを得るリスキリングのかたち。
「ナノ高度学際教育訓練プログラム」では、企業が急激に変化する社会に適応するため、本当に必要とされている知識と技術を学べるよう、コースが緻密に設計されている。「エネルギー問題、電池、水素発電など、企業がタイムリーに関心を持つトピックを素早くプログラムに反映します。もちろん、現在のナノテク産業の立ち位置や、技術の世界的なトレンド、課題点も学べます。」と、竹田精治副センター長。
5つのコースは「ナノマテリアル・ナノデバイスデザイン学」「ナノライフサイエンス学」などから成り、先端技術を1年かけて習得する。さらに各コースは、週に1度の「夜間講義」、最先端機器を使った「短期実習」、大学院生と社会人が議論しながら学び合う「集中講義」の3つのプログラムで構成される。その背景にあるのは信念だ。技術のみならず、事業戦略やマネジメントスキル、新技術を社会でスムーズに展開するために必要な安全性、国際標準化、SDGsなど、社会受容に関する視点など、幅広い視野を兼ね備えた人材を育成することを狙う。
大学での学びを深める利点について、竹田副センター長はこう語る。「実習では、社会人と大学院生がチームを組んで材料開発から製品になるまでのロードマップを作るトレーニングなどもあります。社会人からは大学院生のひたむきな姿を見て初心に戻ることができた、大学院生からは社会人からビジネスマインドを学びとることができた、という声を聞きます」。
時代に先駆け、開講当初からオンライン講義への取組も積極的に行っている。座学に加え、実習でさえ、例えば電子線描画装置などの高度な先端機器をオンラインで遠隔操作が可能な環境を提供する。すべて多忙な社会人受講生のニーズに対応したもの。また、「今さら聞ける相談室」というユニークな試みでは、受講生が抱える「今さら質問するのが恥ずかしい」と思ってしまうような基礎的な内容の相談にも、大阪大学の教授陣をはじめとする各方面の専門家たちが全力で応じてくれる。「実は基礎力が足りていないと内心思っていたり、講義で出てくる大学院レベルの内容についていけなかったりする方も当然います。そうした方々に対応するために受講生の多様なポジションやキャリアに配慮した体制も整えています。」と、社会人受講生ならではの要望や悩みへの対応もきめ細やかだ。
人材育成における産学連携というニュースタンダード。
リスキリングへの関心が高まる一方で、日本は人材育成において決して十分とはいえない現実がある。「日本企業の人材への投資実態は、欧米諸国と比較しても低く、これらの国ではGDP比1.5~2%であるのに対し、日本はわずか0.1%程度というデータがあります2。国際競争力を培うためには、現状の足りないものを認識し、徐々にでも行動に移していく必要がある。」と、宮坂博副センター長は断言する。
市場環境が激しく変化する時代においては、技術力を土台としつつも変化に対応できるイノベーション人材の育成は急務である。2022年には日本政府も、企業のリスキリング支援に5年で1兆円を投じると表明した3。ただ、自社で基礎から人材育成に取り組めるほど余裕のある企業は少ないのが実情だ。
そんな状況だからこそ、R3センターと共に次世代の人材育成に取り組む企業と社会人受講生たちのモチベーションは極めて高い。「例えば、IoT・AI時代に対応した材料技術の開発、バイオサイエンスや環境分野への事業展開など、急速に技術が発展するなかで、あらゆるものづくり企業において新しい分野への転換を迫られています。自社が強みを持つ分野の技術力はそのままに、若手に新しい技術や知見を身に付けてもらい、企業の未来に貢献してもらいたい。だから大学で学んでもらうのだという話を企業の方からお聞きします。」と、R3センターの創設者である伊藤特任教授は語る。
これからの企業が人材育成、ひいては生存戦略を成功させるためには、高度な専門性を有した大学とタッグを組むことがスタンダードになるかもしれない。特に急速に発展するデジタル分野にも長けた人材を自社で一から育成し、世界と伍するまでになることは、一筋縄では難しい。
高まる博士号取得への声。ものづくり企業のグローバルリーダーを大学で育む。
大学と共に人材育成に取り組む企業の中には、Dialogue#1で紹介した島津製作所のように、企業から社員に博士号を取得させたいという声も挙がっている。「ものづくり企業の市場はグローバルになり、技術者が海外企業とコミュニケーションを取る機会も増えました。その際、相手は博士号を取得しているが自分はそうでない場合、対等に議論してもらえなかったなど、悔しい思いをしたという声も聞きます。日本企業が国際競争力を保つためには、能力のある技術者たちの自信とモチベーションを維持することも重要です。」と、20年にわたり受講生を見守り続けてきた伊藤特任教授は語る。
実は「ナノ高度学際社会人教育プログラム」修了者の中にも、博士号取得を目指し進学する者がいる。そこで2017年から、大阪大学の理工系分野の大学院入試では「社会人ナノ理工学特別コース」4を設けて、修士の学位を持つ社会人に対して博士後期課程進学の門戸を広げてきた。「実はプログラム受講のきっかけは、上司や企業などからの推薦や命令という場合が多い。ところが、1年間の学びを続ける中で自身の中に変化が起こり、修了後、より高いハードルを求め博士後期課程へと進学される方がいらっしゃいます。驚くのは、みなさん、強い動機を持って自ら進学されていること。上司や会社を説得したという方もいる。毎年1、2名ですから、決して多くはない。しかし、当初受け身だった姿勢が能動的になり、仕事をしながらの博士号取得へと歩を進める。これは並大抵の覚悟ではできません。」と、竹田副センター長。
社会人向け教育プログラムをきっかけに博士号取得へと挑戦できる大阪大学の制度は、企業が期待する高度なスキルを社員に修得させ、経営への還元を可能にする。それと同時に、様々な事情によって抑え込まれていた社員個々人の向上意欲を再燃させ、人生の可能性を広げることにも貢献しているのかもしれない。
材料からマーケットまで全てを俯瞰できるエキスパートへ。管理職や中堅層にも進化を目指す兆しが。
この秋、企業コンソーシアムからの熱望もあり、R3センターでは新たなプログラム「エキスパートコース」を開講する。
これまで述べてきたように、大阪大学のR3センターが描く「高度な人材」とは、技術力を土台としながらも専門領域を横断して新しい技術を開発、マネジメントできる人材である。R3センターはより多くのそうした人材を育成すべく、半導体分野に特化した「エキスパートコース」の準備を進めてきた。本来1年かけて履修するプログラムを半年間に圧縮したコースで、世界的に需要が高まり続ける半導体分野の高度な人材育成を目指す。藤原センター長によると、「ものづくりを川の流れに例えると、最上流にあたる『材料』を理解し、下流の『マーケットの動向』までを俯瞰してマネジメントできる人材」をイメージしている。
また、このコースでは企業の中堅層の参加も想定している。「既存のプログラムにおいても、企業の知財や企画担当者、中央研究所の所長など、いわゆる中堅層の方たちが、新製品のアイデア、プロジェクトマネジメントに関するナレッジを学びに来られています。その中で、多忙な経営層・中堅層の方たちにも受講しやすいプログラムを求める声が高まってきたのが『エキスパートコース』の開講を後押ししました。」と、竹田副センター長はその背景を語る。
世界経済フォーラムなど様々な機関の調査報告で、世界的な成長産業への労働移動、テクノロジーのオートメーション化等により、今後数千万人規模の雇用が機械に置き換わる可能性が指摘されてきた5。 若手社員だけではなく、経営層や中堅層の中にもこの変化を自分ごとと捉え、自らを進化させる必要性を感じ動き出す人々が現れ出しているようだ。
100年後も強い日本であるために。未来を想像する力を取り戻す。
変化に強く、人材育成に投資できる企業こそが生き残る。R3センターでは、技術力の向上だけではない、しなやかな適応力を持つ人材を育てることにコミットしてきた。
藤原センター長は、1901年に『報知新聞』に掲載された『二十世紀の豫言』を引用し、熱を込めて語る。「2000年代の日本の科学や医療についてなされた予言は、今答え合わせをすると、そのほとんどが当たっていました。例えば、iPadはつくろうと思えばいつでもつくれる高い技術力を日本は持っていた。しかし、その発想がなかった。日本人には元来、鋭く未来を見通す力が備わっていたはずです。100年後を見据え、そこからのバックキャスティングに基づき研究やビジネスに向き合える人材が増えれば、日本は必ずもう一度、力強く豊かな国へと発展できます。」
100年後も強い組織づくりの要となる人材育成は、大学が先導するのかもしれない。「今、日本のものづくり産業を発展させるためには、自分たちの持つ虎の子の技術を世の中で活かすべく、仲間を集め共に学び合い、相互展開する道が、遠回りのようで一番確かだと思います。大学は、そういう建設的な社会発展のために、今後も企業と共に考え、協力し合っていきたい。」と語る伊藤特任教授の言葉には、強い確信と意志が表れる。
未来を想像する力。私たち日本人がかつて得意としていたその能力は、技術者だけではなく、全ての人たちが取り戻すべき力だ。企業で実務能力を蓄積した社会人が、大学でのリスキリングによってその専門性をさらに高め、未来を想像する力を取り戻す。そうして企業と大学とで人を育て、その価値を社会へと還元するスキームができれば、日本の未来は明るい。
ものづくり企業と共にその道筋を模索し、確かな成果を積み上げてきたR3センターの取組から、私たちが学ぶべきものは大きい。
- 出典: Report Ocean「ナノテクノロジーの世界市場は2030年まで年平均成長率37.1%で成長する見込み」 ↩︎
- 出典: 経済産業省事務局資料(P29)「企業の人材投資や個人の社外学習等の国際比較」 ↩︎
- 出典: 日本経済新聞(2022年10月3日)「リスキリング支援「5年で1兆円」 岸田首相が所信表明」 ↩︎
- 出典: 大阪大学大学院博士後期課程 社会人ナノ理工学特別コース ↩︎
- 出典: METI Journal ONLINE ↩︎
Interviewee: 大阪大学エマージングサイエンスデザインR3センター 藤原康文センター長・教授 / 竹田精治 副センター長・特任教授 / 宮坂博 副センター長・特任教授 / 伊藤正 特任教授
Interview / Writing / Photo: Dialogue Staff