福島の“いま”、未来への学び。知識と五感で交わり学ぶ「共創的放射線教育プログラム」

Education / 教育

2011年3月11日に発生した東日本大震災。
福島第一原発の事故は、帰還困難区域1やALPS処理水2などの課題をなお残す。震災後すぐに、科学的な側面からできることは無いかと奔走した研究者たち。想いと行動力は、次世代へと繋ぐ「教育」へと姿を変え、現在そして未来へと続く。

大阪大学では福島の“現在”から学ぶ教育プログラムを発足。
この地をアンタッチャブルなものとして捉えず、放射線から得られるもの、事故が引き起こすもの、そこで未来だけを見据え生活する人たちの想い、そのすべてを学び取り、寄り添える人材、そして万が一、有事が起きた際に自ら考え動ける人材を。
福島県浜通り地域での環境放射線研修会をベースにする「共創的放射線教育プログラム(以下CREPE)」は、教職員に加えて、福島でのフィールドワークに参加する学生の手によって運営されている。

今回は、プログラムに深く関わる教員2名と受講生4名に話を聞いた。 教育の場として福島を見つめる意義、災害を経験した土地だからこそ得られる「知」の重要性を問う。

※共創的放射線教育プログラム(Co-creative Radiation Education Programme、略称CREPE)
自身の専門分野を問わず、放射線の基礎知識や測定方法などの事前講習を受講後、福島県飯舘村/大熊町/双葉町での1週間のフィールドワークに参加。学生は4~6名の班に分かれ、帰還困難区域での土壌・植物採取、放射線測定、福島第一原子力発電所の見学、地元の方との交流などを行う。毎日、その日の学び、感じたことをベースに、班ごとに議論する時間も。テーマは年度を重ねて参加する学生チューターが決め、2023年度は『伝える』。研修後には、教職員、学生、現地の役場の方など関係者全員参加の「報告会」を開き、各班が、どのような議論を行い、どのような結論に至ったかなどを発表し全体で共有する。海外からの参加者も増加傾向にあり、英語で議論する班も増え、多様性のある環境も学びを得る要素となっている。この浜通り地域での環境放射線研修会を基礎にCREPEは運営されている。

教育プログラム「CREPE」発足の背景を、教えてください。

谷畑 私の専門は原子核物理学。原発事故が起きたとき、専門の我々研究者が動かなくてどうする、と感じたんですね。そこで日本中の科学者と協力して現地入りし、福島に広がった放射線量や土壌汚染のデータを採取するプロジェクトを立ち上げました。立ち上げ当初から掲げていた目標は、事態を収集するためだけの短期調査ではなく、30年以上の継続調査。地元の方から今後30年は立ち入らない土地をお借りして、活動を始めました。そんななか「データをただ収集し、蓄積するだけでいいのか?」という疑問が湧いてきたんです。科学的な研究活動ももちろんだけれども、大学から集まった我々は「教育」という使命も担っているよな、と。そこで学生の立ち入りが許されるようになった2016年から活動を発展させ、有志で募った学生を現地に連れていくことに。声をかけると、文理問わず10人程度の学生が参加してくれた。これが、研修会、その後のCREPEの原型です。

核物理研究センター 谷畑勇夫特任教授

岡田 「福島でおもしろいフィールドワークをやっているらしい」というのは以前から耳にしていました。学生が福島に足を運んで、五感を使って現状を知り、分析して知を培っていく。これは貴重なプログラムだなと。であれば、この活動で単位を取れるようにして、もっと多くの学生に門戸を開くべきだと思ったんです。そこで今の所属に移ってから、運営体制などを整え、福島県浜通り地域での研修をベースにしたCREPEを立ち上げました。いまでは、阪大の1年生対象の「学問への扉」等を入り口に、CREPEを履修する学生もいます。母体となる研修会の方は活動の輪は学外にも広がり、2023年度には他大学、留学生を含む約140名の学生が参加してくれました。

放射線科学基盤機構附属放射線科学学際研究センター 岡田美智雄教授

学生を福島に連れていくにあたって、困難もあったのでは?

谷畑 学生の現地入りに向けて地元の方と協定を結ぼうとした段階で、大きな壁にぶつかりました。まず初めに飯舘村の村長さんのところへ挨拶に伺ったんですが、その際はっきりと「私は新聞記者と弁護士、大学の研究者が大嫌いなんです」と言われてしまって。事故後、そういった人間が「復興のために」という名目で現地に入っては、調査データを無断で発表することが相次いだなど、地元の方々が嫌な思いをされることが多かったそうです。そこで私は「このプログラムは学術研究ではなく、人を育てるためのものなんです」「これから何年にもわたって、学生を福島に連れてきます。その中には福島を好きになって、将来住みたいと言い出す子が現れるかもしれない」ということをお伝えしました。村長さんもこれを聞いて納得してくださって。福島の未来をつくっていく、人とのつながりを重要視して協定を結んでくれました。

岡田 私自身はまだ数度しか福島のフィールドワークには同行していませんが、学生たちの心には谷畑先生の狙い通り「福島が好き」という気持ちが芽生えていると感じています。はじめは物珍しさや軽い気持ちで参加していた学生も、福島の今を見て、知って、感じるうちに、福島に対して本気になっていくんですね。すでにフィールドワークに5回参加している登尾さんのような学生が生まれているのが、その証拠だと思います。

学生のみなさんが、CREPEに参加した理由を聞かせてください。

荒牧 物理学科への進学も、高校時代の物理の先生が原子力発電や放射線について熱心に教えてくださったことがきっかけ。そもそも福島の原発事故をもっと知りたいという気持ちがあったので今回初めて参加しました。

理学部 2年生 荒牧咲さん(初参加)

西村 私はドイツ語専攻で、普段は原子力や物理などからは離れた分野を学んでいます。ただ原子力発電に反対の立場をとっている祖父母の話を聞き、「原子力って本当に危険なの?」みたいな、漠然とした疑問があって。自分の目で本当のことを知りたい、学びたいと思って参加を決めました。

外国語学部 1年生 西村美音さん(初参加)

山木 私の夢は教師になること。事故以降、福島に住む方が差別されたり、福島産の食物が風評被害に遭う……という話を聞きました。噂や根拠のない情報をもとに動くのではなく、自分で考え、正しいと判断した事実を教え子に伝えられる教師になりたい。そう思ったことが、去年参加したきっかけです。プログラムではフィールドワークの調査データや、地元の方々のお話を土台に、学生同士でディスカッションすることに重きをおいています。初参加の時はうまく自分の意見を伝えられず、悔しさが残りました。今年はより深い学びを得ようと、後輩たちを指導するチューターとして参加しました。

文学部 3年生 山木晴香さん(チューター、2回参加)

登尾 2018年から毎年参加していて、独自に行っている土壌の調査を含めると10回以上訪れています。はじめは「原発に行けるんだ」くらいの気持ちで参加しました。でも訪れるたび、福島の変化を肌で感じるようになって。山積みだった除染土壌の土嚢が次の年にはきれいになくなったり、避難指示が解除されて住人が戻ってきたり……。刻一刻と「今」を更新し続けている。そんな動く福島をもっと知りたくて、何度も足を運んでいます。

工学研究科 修士1年生 登尾悠平さん(チューター、5回参加)

特に印象的だった学びや出来事はありますか?

荒牧 福島第一原発を訪れた際、ボトルに入ったALPS処理水を見せていただきました。放出できる濃度まで薄める前の水で、見た目は透き通っていて、飲み水と変わりません。安全ではあるのですが、もちろん飲んでみようとはならないわけです。「ああ、こういうことか」と思いました。この水のように、見た目だけ、誰かの「安全です」という台詞だけでは十分ではない。学術的、理論的に事実を捉えて真偽を確かめ、自分なりの答えを出すことの大事さを実感しました。

西村 留学生が農業委員会の方に投げかけた質問が心に残っています。農業委員会の方は「福島の作物はテストをされていて、安全性が確認されています」とお話をされて、私は「そうなんだ、なら安心だな」と感想を持ちました。でも留学生たちは「具体的にどういったテストを行っているんですか?」とさらに踏み込んでいくんですよね。得た情報を感覚的に受け取って思考をストップさせず、信頼できる相手でも、時には批判的に情報を捉えたり、追求することで、考えを深めなければならないんだ、と気づかされました。

山木 特に印象深かったのは、学生同士のディスカッションです。昨年はディスカッションを不完全燃焼気味に終えていて。うまくいかなかった原因が、福島の現状やこれからを考えていく議論で「正解」を出そうとしたことにある、と今年は気づけたんです。福島の今を見てどう感じ、なにを学び、どう発信するかは人の数だけ答えがあります。でも去年の私は、自分が正しいと思う方向に議論を着地させようとしていました。今年は答えではなく、それぞれがディスカッションを通じて考える過程に重きをおいたことで、満足のいく議論を行えたと感じています。将来教師になった時にも、自分の価値観を押し付けず、目の前の子に考えさせる、考えるための知識を与えることを大事にしていきたいなと感じました。

登尾 僕はどこが変わったのか分からないくらい得たものが多く、ひとつに絞るのは難しいですね……。問題を解いて正解を導く高校までの学びと違って、福島のことを考えたり、発信したりする活動には答えがありません。正解が見えない道を進み、考え続けていくことで、僕の中で毎年、社会に生かせる「知」が育っているのを感じます。

学生のみなさんは「福島の今」を伝えることで、どんな変化を社会に起こしていきたいですか?

登尾 福島の方々と話して僕が痛感したのは、「地元の方は未来をみている」という事実ですね。被災地以外に住む多くの方は震災が起こったという過去から、どうしても「かわいそう」とか「大変そう」という思いを抱いてしまいがちなんですが、現地では行政の方も住民の方も、「どうやったら町をもっと元気にできるか」「どうやったら関係人口を増やせるか」ということを考え、精力的に動かれています。町を、土地を元気に前進させるために「生業」と「生きがい」を自分たちの手でつくろうとしている姿を多くの人に知ってもらい、社会が福島に対して抱くイメージを変えていきたいなと、常々感じています。

西村 CREPEに参加した後、友人のドイツ人留学生に福島で得た経験や学びについて、話したことがあります。現地の様子を伝えると、その子は「ドイツでは原子力発電を廃止して、電気代がすごく上がってしまったから、自分は“廃止は間違いだったんじゃないか”と思うようになっていたんだ。でも、原発事故の影響の大きさを聞いて、やはり廃止して良かったと再認識できた」と言っていました。知っている人の実体験として聞く話は、テレビやスマホから受け取る情報より重みを持っているもの。福島での体験を私たちが語り、人が災害や原子力発電について深く考えるきっかけを、つくっていきたいですね。

荒牧 私も学んだことを自分の中に留めておくのではなく、発信することって大事だなと実感しています。プログラム終了後に、知人と話していた時のこと。その方は原発事故以降、なんとなく福島県産の食品を買うことを避けていたらしいんです。でも私が福島に行って、多くを学んだと目の前で話している。それを聞いて親戚は「次に福島のものを見かけたら買ってみるね」と言ってくれました。学んだことを発信すれば、それがいち学生の考えや体験談であっても、人の行動を変えられるんだという事実を実感した瞬間でした。こうやって私が見た福島の「今」を伝えることに加え、福島という文脈から将来起こりうる災害への備えについて、家族や友人と話していくことが、大切だと感じています。

山木 実は、このプログラムに参加すると伝えた時、母からは「大丈夫なの?」と心配されていました。でも、帰ってきて学んだことを話すと、家族も非常に興味をもって聞いてくれます。みんな福島のことを知らないから、ただ漠然とした不安を感じているだけだと思うんです。身近な人が現地に行って、元気に帰ってきて、生き生きとそこで学んだことを話せば、そういう人たちの考えはガラッと変わるもの。福島で得た科学的データを活用していくことはもちろん、私たちが福島の今を伝える語り部として、人のイメージや考え方に変化の波を広げていくことが、未来の日本社会の糧になっていく、と考えています。

福島を教育フィールドとして生かす意義と、プログラムの今後の展望をお聞かせください。

谷畑 意義については、学生たちの意見が全てではないでしょうか。正直、私たちがめざしていた目標が伝わりすぎていて怖いくらいです。震災の記憶を、福島で起こったことを「風化させてはいけない」と、巷ではよく言いますよね。私は起こったことを忘れないようにすることだけが、風化を防ぐ手立てではないと思っていて。災害が引き起こした福島の現状を学術的に分析し、そこで得られた「知」を今の社会、未来の社会に組み込んで生かしていく。これが本来の意味での、「風化させない」ということだと思うんです。そういった意味で、未来を担う学生たちが福島で学び、考え、得た「知」を後進に引き継いでいけるこのプログラムには大きな意義を感じています。

岡田 学生たちがプログラムの意図を汲み取り、自分なりに咀嚼してそれぞれに答えを出してくれている現状に感動しました。原子力や放射線、というトピックだけを見ると理系のプログラムのように感じられるかもしれませんが、西村さんや山木さんといった文系の学生さんも福島での体験から多くを学び、また他の学生の学びを深めることに貢献してくれています。学問領域を横断し、知と知を融合させて実社会に役立つ学びを得ていくという、「STEAM教育」を実践できているようで、とても嬉しいです。

谷畑 参加する学生の人数、属性が広がったことを受け、私はプログラムが「学ぶ」フェーズから、「伝える」フェーズに移行しつつあるのを感じています。より多くの人が福島の今を理論的、学術的な知見に基づいて知り、考え、他者に伝えていく。そのために、日本の学生だけでなく、世界中の教員などにむけてこのプログラムを横展開していくことが、目下の目標です。国際原子力機関(IAEA)との連携はすでに決定しており、アジア各国の教員を集めた研修プログラムを福島で実施する目処も立っています。

谷畑 世間は、福島の現状を伝える際、どうしても「福島にまだ人が戻ってこない」という文脈になりがちです。でももうそろそろ、「戻ってくる」ではなく、「新しく来る」という視点に切り替えていく時かなと感じています。

双葉町は、いまや人口の半数が事故以降に移り住んできた「新しい」人々だと聞いています。施設もどんどん新設されている。双葉町の町役場は1年ほど前にできたものですし、大熊町には学校、預かり保育、学童保育などを一体にした複合施設が最近設立されました。地元の方と新たに来られた方が交流し、ともに前に向かっています。

福島の人は未来しか見ていません。その姿を伝えていきたいのです。

撮影:吉川譲 福島県富岡町から太平洋を望む
  1. 出典:避難指示区域の概念図(令和5年11月30日) ↩︎
  2. 出典:大熊町環境情報サイネージ ↩︎

Interviewee:
・核物理研究センター 谷畑勇夫特任教授
・放射線科学基盤機構附属放射線科学学際研究センター 放射線教育部門 岡田美智雄教授
・工学研究科 修士1年生 登尾悠平さん(チューター、5回参加)
・文学部 3年生 山木晴香さん(チューター、2回参加)
・理学部 2年生 荒牧咲さん(初参加)
・外国語学部 1年生 西村美音さん(初参加)

Interview / Writing / Photo: Dialogue Staff