ビッグデータ活用の波は、学びの現場に。日本の教育を大きく変える「教育のDX」とは。

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検索をせずともWEB上に、欲しかった商品の広告が流れてくる。
「いいね!」した投稿に関連した、気になる動画がおすすめされる。
かつては少しドキッとさせられていたオンライン上でのサジェスト機能も、今では「便利」と、活用している人の方が多いのではないだろうか。

こういった、いわゆる「おすすめ機能」を支えているのは、企業が日夜ネットを通じて個人から集めているビッグデータの存在であり、その収集ポイントは、いまやPCやスマホといったデバイスのみに限らない。

総務省の「令和3年版 情報通信白書」によると、世界のIoTデバイス数は2020年の253億台から、2021年が277.9億台、2022年が309.2億台、2023年が340.9億台と、右肩上がりに増加している1
あらゆるモノがネットとつながり、人から情報を収集する時代。
ビッグデータが解析・活用されることで、私たちの手元には個別最適化された娯楽や情報が届けられ、生活は豊かに広がった。

現在は主にSNSや配信系サービス、マーケティング・PRといったフィールドで利活用されている印象が強いビッグデータ。
実は、変革の時代を逞しく生き抜く人材育成に活かそうという試みが大阪大学で始まっている。

学びを一段階進化させるための答えを「教育のDX」に見出し、ビッグデータを用いた、個別最適且つ生涯にわたる学習機会の提供に挑む、大阪大学Student Life-Cycle Supportセンター(以下、SLiCSセンター)の面々に話を聞いた。

教育の現場にも訪れた、多様性の拡張・需要の波

 2019年、国は初等中等教育におけるICT教育の普及をめざした「GIGAスクール構想」を発表2。これは、全国の小中学校に「1人1台端末」と「高速大容量の通信ネットワーク」を整備することをめざした取り組みで、「多様な子供たちを誰一人取り残すことなく、 子供たち一人一人に公正に個別最適化され、資質・能力を一層確実に育成できる教育ICT環境の実現」を目標としている。
 人々の指向や能力が多様化する中、ひとつのサービスとして、個別最適化されていく必要に迫られているのは初等教育だけではない。人々のライフステージが教育・仕事・老後を経て進む単線的な「スリーステージモデル」から、有機的・曲線的な「マルチステージモデル」へとシフトしつつある現代において、「多様性」を受容しうる教育の提供は、高等教育機関にとっても重要な命題となりつつある。事実、国も「2040年に向けた高等教育のグランドデザイン」において、多様性と柔軟性を確保した教育のあり方を求めている3

大学が秘めるビッグデータのポテンシャル。第一歩は、情報が集まる“器”づくりから

 一定の方針・水準が存在する初等中等教育と違い、学びの分野や手法が多岐にわたり、学習を行うこと自体が学生らの自主性に委ねられているのが大学の特徴。個々に学びたいことを選び取っていく大学のスタイルと、サジェストというテーマは、一見親和性が高いようにも思える。しかし現状、そういった多様で柔軟な教育サービスの提供に踏み出せている大学は、まだまだ少ない。それはなぜか。
 まず、ビッグデータを統計処理し、活用に至る大前提に、個人の特徴を反映したデータが必要になる。個人情報を本人の同意を得て収集できても、ビッグデータとして活用するためには、個々人に関するデータを、組織内で横断的に共有することが必要になる。もちろんこれまでにも大学では、「学生がそもそも何を志して入学したのか」や「在学中の成績」「卒業後の就職先」といった情報を収集し、それぞれ必要なサービスへと繋げてきた。しかし、それらの情報はそれぞれのフォーマットで収集され、担当部署の数だけ存在しており、個人に紐づいたかたちで横断的に共有されていない。この「データが散在している状況」が、大学が教育ビッグデータの活用に踏み出せない最初の壁となっていた。
 「入学時、在学時、卒業後にいたるまで、長期的に学生についての情報をプールし、組織横断的にそのデータを共有。大学全体でデータのポテンシャルを活かし切ることが、SLiCSセンター発足の大きな目標のひとつです」。そう語るのは、川嶋太津夫センター長だ。
 SLiCSセンターは高大連携、入試、教学、キャリアなど、さまざまな属性をもつメンバーで構成された組織。縦割りの壁を軽やかに超えられるメンバーたちは、現在、阪大生が生涯を通じて活用できる「大阪大学ID」(以下、「OUID」)を開発するチームと連携し、IDに紐づくデータの収集に挑戦している。学生たちが何を志し、何を学び、どのような分野へ羽ばたいていくのか。OUIDを用いて連続性を持ったデータを長期的に収集し、学生の指向や資質に基づいた傾向を分析することで、学生自身が統計データを活用し、自身の進路を考えるきっかけにしたり、大学側からのキャリア指導、卒業後のリスキリング・リカレント教育などに役立てていく予定だという。

(左から)竹村治雄 副センター長・教授 / 川嶋太津夫 センター長・特任教授(常勤)/ 村上正行 副センター長・教授

教育ビッグデータ収集のカギは、「学習行動」のデジタル化にあり

 OUIDなどの活用で、データを集める“器”の準備は整った。だがそこで、次なる壁が立ちはだかってくる。それは個人の「学習行動」を、どのようにデータ化すべきか、という課題だ。SNSなどを例に考えると分かりやすいが、サジェストに必要なビッグデータはユーザーが、日々どんな言葉を検索しているのか、どういった投稿に興味をもって「いいね!」を押すのか、といったデジタル上の行動によって集められている。しかし、こと学習に関して、同様のデータ収集活動を行うのは非常に難しい。「講義中、学生が教授のどの発言に興味を惹かれたか」や、「どのくらいの時間、自宅で教科書を読んで勉強をしているのか」「どんな文献を参照してレポートを作成したか」など、学習行動のほとんどが、アナログ上、またはローカルなネットワーク上で行われているからだ。
 もちろん学生がどの授業を履修し、定期試験においてどんな成績を残しているか、といった情報は収集できる。しかしそれらは限定的な数値であり、要素としては不十分。ビッグデータと呼べるデータの集合体を構築するには、SNSなどと同じように、学習者をオンライン上に誘い、デジタルにその行動を拾っていくしかない。
 副センター長を務める竹村治雄教授はこう語る。「大阪大学では、コロナ禍よりも随分前の2013年頃から、全講義の動画収録・公開ができる環境を整えてきました。IDに紐づく情報を真に活用していくためには、こういったデジタル素材を用いた学習ツールの充実が必要不可欠。これは構想段階に過ぎませんが、講義動画に加えてWEB小テストなどを公開すれば、学生の知識やスキルをより細やかに測定したり、効果的な学習方法をレコメンドすることも可能になると考えています。大学にとってはデータ収集の接点が増えるメリットが、学生にとってはいつでもどこでも学習を行える、というメリットが生まれるでしょう」。
 大学側がキャンパス内で講義を行うだけでなく、オンライン上で学びの素材を提供する。それらを学生が活用することで、学習行動の見える化が進み、IDに紐づくデータが深まっていく。学びの仕組み自体のDXが、多様なデータ収集ポイントを生み出すというわけだ。

選べることで、能動的に。DXが学習効果を高める事例も

 器となるプラットフォーム、収集方法の確立を経て、かたちになっていく教育ビッグデータ。情報の集合体は、分析や活用を経て学習者にフィードバックされることで、その真価を発揮する。他の学生たちと比べて、自分の知識やスキルはどの程度のレベルに達しているのか。どういった方向性の学習をどのくらい増やせば、より成長できるのか。データ分析の結果として、日々の勉学に役立つ情報を学生にフィードバックしていくことは、個別最適化された「学びのサジェスト」につながっていく。
 ただここで浮かんでくるのが、おすすめされる学びのみを享受することが、本当に学習者のためになるのか、という疑問だ。学びのサジェストや学習手段のDXは、学習者から能動性を奪うことにつながらないのだろうか。
 この疑念に対して、おもしろい答えを示しているのが、講義動画の配信によって見えてきた傾向だ。前述の通り、大阪大学では2013年から講義動画の配信を始めている。すると、「動画を1.5倍速で視聴し、わからないところはスピードを緩めたり、繰り返し視聴したりする」「わかる授業は1.5倍速で視聴して学習時間を短縮し、残った時間で苦手科目の勉強や研究に充てる」「動画を活用して復習することで、成績が上がった」という声が学生からあがるようになったのだ。これはデジタル学習ツールの活用方法を、学生たちが自ら模索し、能動的に学びを深めた結果だと言えるのではないだろうか。
 DXによって個別最適化された教育を提供していくことも大切だが、自ら学習の道を切り拓く“セルフダイレクトラナー”を育てることも、大学の重要な使命。「学習ツールを多様に広げることで、学び方を自ら選択したり、創造したりする学生を増やせるのではと考えています。また、ビッグデータのフィードバックを通じて自分の現在地を知れるということは、それを土台として、今の自分に足りない知識、必要なスキルを見出せるということ。この習慣を在学中に身につけることで、自主的に学び続ける姿勢が定着していきます。これは、卒業後もリスキリング・リカレント教育を当たり前に行うマインドを育み、結果として、生涯自らを成長させ続けることのできる、優秀な人材を社会に輩出することにつながっていくはずです」と川嶋センター長は語る。
 つまり「教育のDX」は、個別最適な教育を創出すると同時に、自らの現在地を的確に捉え、現時点での課題を解決するために「生涯学習」を続けられる土壌を、学習者の中に育んでいく原動力にもなり得るのだ。

川嶋太津夫 センター長・特任教授(常勤)

必要な学びを選ぶ余裕や、指針がない。迷える社会人にこそ、学びのサジェストは恩恵大!

 長きにわたる人生を充実させていくために、「生涯学習」「リスキリング・リカレント教育」といった、“学び続ける姿勢”が重要になってきている現代4、一連の教育DXが起こす波は、大学を超え、社会にも広く影響を与えることが予想される。
 実は、「時間や費用がない」といった物理的な理由に次いで、「どのようなコースが自分の目指すキャリアに適切なのかわからない」という点も、社会人がリスキリング・リカレント教育を実践できていない要因のひとつ5。教育ビッグデータを活かした、学びのサジェストは、こういった「迷える社会人」にとっての光明になる可能性を秘めている。
「自分に今何が足りていないのか、何が必要なのかをOUIDを通して見出せれば、リスキリング・リカレント教育に挑戦するきっかけも提供できるでしょう」と語るのは、OUIDを使った卒業生とのつながりづくりを担当している、副センター長の村上正行教授だ。
村上教授はこう続ける。「まだ設計段階ではありますが、同窓会などと連携しながらアンケートを収集し、キャリアの変遷データを集めることを目標に動いています。自らの知識やスキルを継続的に蓄積できるようになれば、OUIDはキャリアアップや転職の際の、“スキル証明書”として役立つようになるかもしれません」。
 この試みが実現すれば、学習者は生涯を通して教育ビッグデータとつながり続けることが可能になる。人生を通して個別最適な学びを示してくれる道標として、自らのキャリアやスキルの証明書として。教育ビッグデータによって、ある種の“学びのパスポート”を得ることは、社会人と「生涯学習」との間を隔てている壁を取り払う、ひとつのきっかけになるだろう。
 もちろん長期的教育ビッグデータの収集と、それらを活用した生涯にわたる教育機会の提供を実現するためには、課題も山積している。最も大きな問題は、社会人との接点づくりだ。卒業生・社会人側が情報提供にメリットを感じることができなければ、アンケートなどへの協力を得ることは難しい。そのためSLiCSセンターでは、データ収集への協力者に対し、例えば、オンデマンド授業を無償で受けられるなどのインセンティブの仕組みを検討中だ。ICTを活かした教育は、忙しさゆえに学び直しに挑戦できない社会人が、自分のペースで学びを進めるための解決策としても有効。こういったつながりづくりに対する地道なアプローチも、教育ビッグデータの厚みを増すために必要な観点だ。

村上正行 副センター長・教授
竹村治雄 副センター長・教授

教育のDXが社会に生みだす、多様で柔軟な「知の好循環」

 教育のDXが実現することは、大学が提供する教育というサービス全体の質をベースアップすることにもつながる。「各学生の傾向を踏まえた教務・学務・進路のフォローアップは、これまでマンパワーによって行われてきました。ビッグデータが収集され、タップひとつでその統計結果や分析結果が見られるようになれば、教育を提供する側にも大きな変化をもたらします。対面でのコミュニケーションやヒアリングなど、人と人との関わりが本当に必要な業務に、時間を割けるようになるはずです」と、川嶋センター長は言う。
 大学を通じて得られる学びが充実すること。学びを得るにあたっての大学とのコミュニケーションが密になるということ。こういった教育の機会を、指向や資質、障害の有無、年齢、性別、国籍に関わらず、人々の自主選択性を尊重しながら提供できる点も、DXの利点だと言えるだろう。実際にSLiCSセンターがめざす「学習方法のDX」の先駆けとなった講義のビデオ配信は、キャンパスに訪れることが難しいなど、配慮が必要な学生から好評だという。
 社会人が教育のDXの波に乗り、リスキリング・リカレント教育に当たり前に取り組めるようになることは、学ぶ人の属性を多様に広げることにもつながる。多様な人が、それぞれの望みに合わせた柔軟な方法で学びを深め、そこで得た知識やスキルを社会に還元していく。そうやって生まれたイノベーションはまた、「教育のビッグデータ」の一部となって蓄積され、新たな多様性の広がりに貢献していくだろう。
 SLiCSセンターが推進する「教育のDX」は、大阪大学に限った話ではない。未来の日本社会に、「知の好循環」を生む取り組み。「知の好循環」が巡る社会では、人と学びの距離はぐっと縮まり、「生涯学習」という選択肢が当たり前に。学びという観点から、多くの人が人生を通して自らを進化させ続け、生きがいを追求し続けられる。そんな世界が広がっていくだろう。

  1. 出典:総務省「令和3年 情報通信白書↩︎
  2. 出典:文部科学省「GIGAスクール構想の実現へ↩︎
  3. 出典:文部科学省「2040年に向けた高等教育のグランドデザイン↩︎
  4. 出典:文部科学省「人生100年時代構想会議 中間報告↩︎
  5. 出典:内閣官房「⼈⽣100年時代構想会議↩︎

Interviewee: 大阪大学SLiCSセンター 川嶋太津夫 センター長・特任教授(常勤) / 竹村治雄 副センター長・教授 / 村上正行 副センター長・教授
Interview / Writing / Photo: Dialogue Staff