オルガノイド研究の第一人者・武部貴則教授が挑む、医療と社会の新たな関係性づくり。
多くの専門家の努力によって、新たな治療法や治療薬が日進月歩で生み出され続けている医療の世界。もちろんその一つひとつが、私たちにとって大切な進歩であることは間違いないが、一方で、現代医療の仕組みや枠組みの中で生まれゆく新技術では、社会に大きなインパクトを与えることが難しくなっている、という見方もある。
こういった状況を打破し、未来社会における治療や予防の新しいスキームをつくろうとしているのが、大阪大学大学院医学系研究科で「器官システム創生学」に取り組む、武部貴則教授だ。
再生医療の中でも注目を集める「オルガノイド」を武器に、医療のあり方、医療と社会の関わり方にまで研究を波及させている武部教授に、研究や活動に臨むにあたってのアイデアの源や、その先に描く理想の未来について、詳しく尋ねた。
人体の機能を再現する、ミニチュア臓器「オルガノイド」
再生医療という言葉が広く使われるようになって久しいが、「不調があるので再生医療で治療しよう」と当たり前のように考える人は、まだまだ少ないだろう。言葉としては知っているものの、ぼんやりと実態が掴めない再生医療。“再生”というポイントを、武部教授は次のように解説する。「再生医療は決して、最近になって登場した治療法ではありません。なにかしらの原因で臓器が壊れてしまった、ひどい炎症を起こしてしまった。そんなときに炎症などの症状=その場で起こっている大火事を消しとめ再生を促す。かなり以前から、間葉系幹細胞注射などの治療が実践されています。しかし技術の発展とともに、不調がある身体の一部を新しいものに置き換える、という再生医療1の手法が誕生しました。一般的にはこの“置き換える”という感覚が、再生医療のイメージになっていると思います。ただ、現時点で置き換えられる身体の要素にはまだまだ限りがあって、多くの場合が作製した細胞を注射や移植する技術にとどまっています」。
ここで言う「多くの場合」と異なるのが、武部教授が手掛けるオルガノイドだ。オルガノイドとは「organ(organ、臓器)」と「oid(〜のような)」を掛け合わせた言葉。いわば試験管の中でつくられるミニチュア臓器で、血管・血液・神経・組織などで構成されるオルガノイドは、臓器と同じ代謝や免疫機能を有している。「細胞単体では発現しない臓器としての機能を持つことが、オルガノイドの最大の特徴。私の研究室では幹細胞から臓器を形成するさまざまな要素が、一部を除いて自発的に分化し、“自己組織化”した立体構造になっていることを、オルガノイドの定義としています」と武部教授は語る。
オルガノイドを用いた実験が、予防や治療、診断の未来をひらく
ミニチュア臓器ができあがっているのなら、移植可能な実物大臓器の完成も間近なのでは……、と期待が高まるが、それはまだまだ難しい、と武部教授は語る。「患者さんの血液からiPS細胞を作り、健康な臓器を育てていくという研究ももちろん行われています。しかし完璧な臓器を作り出すには、まだまだ時間と費用がかかる、というのが正直なところです。一方で、今現在も臓器移植をするしか治療法がなく、困っている患者さんはたくさんいらっしゃいます。その方々の治療に早期に役立つ可能性を秘めているのが、オルガノイドを少し違った形で利用する研究です」。
オルガノイド研究の第二の道。それは、ミニチュア臓器を利用した創薬研究だ。通常、新薬や新しい治療法の開発には多くの費用と時間がかかる。第一ステップとして理論が確立され、第二ステップの細胞や動物を用いた実験に進む。その結果「これはいけそうだ」と確度が高まれば、最終段階である人体での治験に挑戦できるようになる。もちろんここで失敗すれば、それまでかけた費用と時間は水の泡となるわけだが、細胞や動物で成功していた治療が人体ではうまくいかない、というケースも多いのだという。これでは製薬会社もリスクの低い技術開発にしか取り組めない。また上手くいったとしても、理論の提唱から技術の確立までに多くの時間を要するため、その間に多数の患者さんが命を落とすことも考えられる。これが、今までの治療法・治療薬開発の当たり前だった。
この状況を変えるのが、オルガノイドだ。前述したように、オルガノイドは人の臓器と同じ機能を有するミニチュア臓器。疾患モデルをもったオルガノイドに薬を投与すれば、それらが人体に対してどのような効果を発揮するかを、細胞実験より高い精度で確認できる。「人の体に対して技術や薬が効くか、効かないか。オルガノイドを使えば、それが現状よりはるかに短いスパン、少ない費用、高い確度で確認でき、多くの方の命を救う医療技術の開発スピードを飛躍的に高められると考えています」と武部教授は期待を込める。
従来の相対診断を変える、絶対診断の実現をめざして
「薬がどう効くかの前段階として、病気の原因がどこにあるのか、という疾患メカニズムの解明にも、オルガノイドを用いた実験は非常に有用です」と武部教授は続ける。現代の医療現場では、患者さんの症状や特定の臓器の状態、血液の数値などを相対的に見た結果として診断を下す。中にはAという症状に、B・C・Dいずれかの症状を合併している場合はこの病気、と診断されるパターンも。オルガノイドによる疾患メカニズムの解明は、この「相対診断」とも言える現在の診断手法、病気の定義自体を変える可能性を秘めている。
「現代の医療技術では、患者さんが訴えている症状の原因をピンポイントに特定することが難しいんです。だから、Aと同時にBを合併している患者さんとCを合併している患者さんを同じ病気に分類し、治療を行うような枠組みになっている。でも科学的に言えば、A+BとA+Cでは、答えが変わってきますよね?疾患モデルを持ったオルガノイド研究が進めば、症状の原因をピンポイントに突き止め、A+BとA+Cを別の病気として扱えるようになっていくかもしれないのです」と武部教授。オルガノイドによって薬や治療法の開発スキームが変化するだけでなく、患者さんがそれぞれに抱える原因によって病気を定義する、“絶対診断”が可能になる日も近いようだ。
パーソナライズされた予防医療の先に描く、人とメディカルの新しい関係性
疾患を模したオルガノイドを用い、治療方法の開発や、疾患メカニズムの解明を進める。この発想を逆転させ、武部教授はオルガノイドを使った予防医療技術の研究開発にも取り組んでいる。「大阪大学のヒューマン・メタバース疾患研究拠点WPI-PRIMe.2の仲間と共に、健康なオルガノイドにストレスや喫煙などの負荷を与えて、臓器がどのように変化していくのかを観察する実験に取り組んでいます。人のコピー=デジタルツインを作製し、シャーレの中で人の一生を再現しようとしている訳です」。この研究が深まれば、“この遺伝子とこの生活習慣が合わさると、こういった不調が起きる”という疾患の未来予測が、明確な因果関係を理解した上で行えるように。「症状が出たあと疾患ごとに治療する」という医療のあり方が変わり、「人それぞれの体の変化を未来予測し、疾患を予防する」という医療の誕生につながっていく。
「医学の歴史は2000〜3000年。長い間そのアプローチは普遍的で、ケガや病気といった明確でシンプルな原因を治療するために発展してきました。しかし日本を筆頭に、この50年で世界は急激に高齢化。それによって今すぐ命に関わるわけではないけれど、ずっと付き合い続けなければならない慢性疾患を抱える人も増えました。だからこそ私は、病名で人を分類するのではなく、一人ひとりの目線に合った医療が今後もっと必要になってくると考えているんです。そのために、医療をパーソナライズできるオルガノイド研究をすすめていますし、 “ストリートメディカル”という社会における医療のあり方を提言するなど、活動の裾野を広げています」と武部教授は話す。
生活習慣や性格、体質といったその人がもつ「人となり」「人生」。そういった要素を無視することなく、要不要も含めて「この人だから」という医療を展開していく。社会を生きる人々が、異常が起きた時、緊急的に頼るものではなく、自分の中に落とし込まれた「マイ・メディシン」をそれぞれに持つようになる。社会の中での医療の立ち位置が変わることで、人間性やその人らしさを大事にするケア・治療のあり方がより自然で当たり前となっていくことが、ストリートメディカルがめざす目標だ3。
オルガノイドという分野で世界を牽引する研究者でありながら、医療と社会とのつながりを変えていくためのソーシャルデザインにも取り組む教授。非常に幅広い研究・活動のきっかけや原動力について尋ねると、社会が一歩先に進む起爆剤となる「インベンション」の必要性が見えてきた。
概念をつくる。それを広げる。だから世界を変えられる。
「研究や活動の一連のつながり、因果関係を説明するのがすごく難しくて。聞かれるといつも困ってしまいますね。やらなければいけないと思ったから、おもしろそうと思ったからやっている、としか言いようがないんです」と武部教授は笑う。オルガノイド研究を始めたのは、移植を見据えた人工臓器を作るなら、当時一般的に研究されていた細胞の作製より、臓器を直接作った方が早いと感じたから。現在の医療のあり方に疑問を感じたのは、研修医時代に治療方法が確立されていない難病の患者さんに対しては、医師がケア施設への転院という選択肢しか持ち得ないと知ったから、なのだという。
つながりがない、と武部教授は語るものの、これらの研究や活動はすべて、教授が未来をつくるために必要だと話す「インベンション」として捉えることができる。既存の価値観や技術を結合させ変化を生むイノベーションと異なり、インベンションとはゼロから何かを生む「発明」のこと。細胞の作製が当たり前だった再生医療の分野で、組織を、ひいては臓器を作り出す。研究者として医療技術を開発するだけでなく、医療の仕組みや医療と社会のつながりを変えるための活動も展開する。物事の当たり前、根本を構築し直すような変化を、医学という文脈で社会に投じていくのが、教授の軸となっているように感じられる。
ただインベンションを起こすだけでは、世界は変わらない。世界に真のインパクトを与え、変化を促すためには、技術やアイデアを社会実装する必要があるからだ。その点を武部教授は「人と組む」ことでクリアしている。「研究がある程度熟した段階でスタートアップを立ち上げてバトンを渡し、技術の実装フェーズはその会社に任せるようにしています。私たち研究者が開発する革新的な技術は、いわばスーパーカーのようなもの。いくら高度でも汎用性がないし、汎用性を持たせるための専門知識が私にはありません。だからそのスーパーカーを自家用車に落とし込む過程は、経営や製造のプロに任せる。いくつかの失敗から、その大切さを学びました。ストリートメディカルやマイ・メディシンについても、元は頭の中にぼんやりと持っていた想いでしかなかったんです。それを言語化し、普及活動に落とし込めているのは、広告やデザイン業界の方々とのつながりを持てたからですね」、と武部教授は語る。
既存のフレームにとらわれないインベンションを起こし、人と共にそれを社会に広げようと奮闘する教授は、2023年に阪大に着任したばかり。大学はもちろんWPI-PRIMe.といった組織との連携、大阪の地で生まれていくであろう新たな研究者や産業界とのつながりが、オルガノイド技術はもちろん、医療そのもののあり方にどのような発展をもたらしていくのか。期待に胸をふくらませつつ、今後の展開を注意深く見守っていきたい。
interviewee: 大阪大学大学院医学系研究科 武部貴則教授
Interview / Writing / Photo: Dialogue Staff