量子コンピューターの実用化で、高度な社会問題を解く。実機にアクセス可能、確かな手応えが大阪大学に。

Science & Technology / 科学技術

2023年、日本は“国産量子コンピューター元年”を迎えた。
3月、国産初の量子コンピューターが理化学研究所で稼働を開始1。10月には2号機を富士通で2、12月には3号機を大阪大学で稼働し3、クラウドサービスを通じて外部から利用可能となっている。

量子コンピューターは、従来のコンピューターでは天文学的な時間を要してしまう計算が超高速に解けると期待されている「夢の計算機」。1980年代にその研究が始まって以来、世界中がその夢の実現を追いかけてきた。
それが今、実機として整備され、コンピューターを操作できるまでに技術が進歩している。
ただ、これは実用化に成功したということではなく、国産部品による試験用プラットフォームの完成段階まで到達したということである。

実際に、量子コンピューターを使えるようになる未来は訪れるのか。その実用化によって、どのような社会的インパクトをもたらすのか。大阪大学 量子情報・量子生命研究センター(QIQB)の副センター長を務める根来誠准教授に話を聞いた。

根来誠准教授

スパコンの限界を突破する計算能力があり、スパコンよりも省電力

 量子コンピューターという言葉を聞いたことがあっても、その仕組みや従来のコンピューターとの違いを知らない方もいるだろう。そもそも従来のコンピューターは、「0」か「1」の情報単位(ビット)で表現され、「0・0」「0・1」「1・0」「1・1」のように、4つの組み合わせを一つひとつ計算して答えを探す。それに対し量子コンピューターは、「0」と「1」の状態を同時にもてる量子力学特有の「重ね合わせ」の性質をもち、これにより「0・0」「0・1」「1・0」「1・1」の4つの組み合わせを同時に並列計算できる。つまり、古典コンピューターに比べて計算処理速度が劇的に高速化でき、複雑で高度な計算も可能になるのだ。

 高速な計算能力を有するコンピューターといえば、2021年に共用が開始されたスーパーコンピューター「富岳」がある。スパコンがあるなら、量子コンピューターは不要なのでは?そう思う方もいるかもしれないが、現実社会には、スパコンが長時間かけても解けない問題が無数に存在している。量子コンピューターの実用化が実現すれば、これまでは辿りつけなかった解を手にすることができ、複雑化した社会問題を解決する糸口がつかめたり、産業界のさらなる発展に貢献したりと、イノベーションを創出する重要な基幹技術になり得る。さらに、スパコンの消費電力は莫大であり、「富岳」が数十メガワット級の電力を消費する。実は、世界全体の電力消費量の1~2%は、世界のデータセンターが占めているという試算もある。また国内に目を向けても、2030年にはICT関連機器だけで現在の年間使用電力量の倍ほどの電力を消費すると予測されており、地球温暖化の加速が懸念される。4 このように、スパコンを含む古典コンピューターが解くことのできる「限界」を突破し、さらに環境負荷に考慮しながら人類の進歩や発展への貢献が期待できるところに、量子コンピュータの必要性と可能性がある。

阪大の量子コンピューターは、“制御”で世界を先駆けていく

 現在、日本で製造されている国産量子コンピューターは64量子ビットチップを用いたもの。量子コンピューターはそのビット数が性能に影響し、ビット数が大きいほど計算の正確性も向上する。米Googleは2023年に、70量子ビットの量子コンピューターをテストしたと発表。ビット数に着目すると日本が追随しているように捉えられるが、大阪大学QIQBでは量子コンピューターの性能向上に影響する制御装置の開発に注力し、別角度から世界をリードできればと考えている。

国産量子コンピューター3号機(大阪大学)

 「量子コンピューターの心臓部は量子ビットチップが担っているのですが、単独では動作しません。最終的に量子コンピューターを使うためには量子ソフトウェアが必要であり、制御装置は、量子ビットチップと量子ソフトウェアを媒介する存在なんです。つまり、高性能な制御装置なしには量子コンピューターは成り立ちません。量子コンピューターは、量子特有の「重ね合わせ」という性質を利用しており、その現象を計算に応用するには外部からほとんど熱雑音が入ってこない絶対零度に近い環境をつくることが不可欠です。どうするかと言うと、量子ビットに配線をつなぎ、マイクロ波信号を送受信させる。このマイクロ波をいかに、きれいに、大規模につくれるかが、制御技術の肝です。一方で、制御装置は各研究機関や企業によってブラックボックス化されていることが多く、その構築は研究者にとって大きな負担となっています。そこを僕らがリードすることで、量子コンピューターの研究開発を加速させられたらと考えています」と、根来准教授は話す。

 制御技術の精度をさらに高めることができれば、IBMやGoogleと肩を並べられるようになるかもしれないと根来准教授。さらにもう一つ、注目すべきは「国産」であることだと話す。2023年3月に稼働した国産初号機は、国産と言えど海外製の部品も多く用いて製造された。対して、大阪大学QIQBに設置されている国産量子コンピューター3号機は、冷凍機を除いてほとんどの部品を国産に置き換えており、「テストベッド(試験用環境)」としての役割を果たしている。実際に、十分高い量子ビット性能を引き出せることが確認できており、今後の日本の量子コンピューター開発に大きく貢献できると期待が高まっている。その実機には、日本の中小企業の製品が多く使われており、企業にとっても技術力向上をはかりビジネスチャンスを得る好機だ。

量子コンピューターを学ぶ、触る、活かすプラットフォーム

国産量子コンピューター3号機にクラウド経由でアクセス

 この、国産量子コンピューター3号機。クラウド経由で利用できるサービスとして公開されており、研究者が遠隔地から量子アルゴリズムを実行したり、ソフトウェアの改良・動作確認をしたり、ユースケースを探索したりできる環境がすでに構築されている。パブリックセクターが開発・公開した量子コンピューターとしては、世界に類を見ない事例だ。現在は、誰でも操作できるというわけではなく、大阪大学QIQBが率いる「量子ソフトウェアコンソーシアム」の参画機関になることで操作が可能。「量子ソフトウェアコンソーシアム」では、量子計算・量子アルゴリズム・量子機械学習・量子化学計算・金融実務計算といった量子コンピューターに関する知見を深められる勉強会を開催しており、アルゴリズムの実装や実機での検証、ソフトウェア開発などにも取り組むことができる。現在は企業含む42機関が参画しており、特に若い人材やビジネスパーソンにもどんどん量子コンピューターに興味持ってほしいと根来准教授は話す。

 「量子コンピューターや量子技術に触れる人口がすごく少ないんです。研究者も全く足りていない。ですから、コンピューター実機の精度を上げていくのはもちろんのこと、人材育成にも力を入れていきたいと考えています。ちなみに大阪大学では、量子コンピューターを用いた講義を始めました。この取材の後にも、実機にアクセスしながら授業を展開する講義があります。若い人にはどんどん量子コンピューターに触れてほしいですし、ビジネスパーソンの皆さんにも是非興味を持ってもらい、正しい知識を習得してもらいたい。そのための勉強会でもあります。量子コンピューターの仕組みや原理を理解するのがいかに難しいかを分かってもらった上で、しっかりと時間をかけて量子コンピューターの奥深さや可能性に触れていただきたいです」

 内閣府が掲げる「量子未来社会ビジョン5」では、2030年に目指すべき状況として、国内の量子技術の利用者を1,000万人にという目標を掲げている。量子コンピューターが実用化されても、それを使いこなし、ビジネスの現場で応用できる人材がいなければ宝の持ち腐れになってしまう。量子コンピューターが、ビジネスのどんな場面で活用できるのか、どんなブレイクスルーが期待されるのか。それは、量子コンピューターを学び、触れてみることで、本当の価値や手応えが感じられるものかもしれない。

すでに、あなたのスマホにも?耐量子コンピューター暗号

 量子コンピューターが、そう遠くない未来に実用化される可能性が見えてきた。そんな期待を抱きつつも、気になるのは実社会において量子コンピュータがどのように役立つのかということだ。一般的には、創薬や材料開発、金融やセキュリティ対策などの分野に活用されると前述の「量子未来社会ビジョン」にあるが、根来准教授は「暗号通信」の世界ではすでに量子コンピューターへの対策のための技術が導入され始めていると話す。

 「今、皆さんが使っているネットワークの暗号化セキュリティは、従来のコンピューターの計算複雑性によって担保されているんですね。コンピューターで解けない問題を使って暗号通信を行なっているわけですが、量子コンピュータが登場すると暗号を解けるようになってしまうんです。そのような脅威に対応するべく、耐量子コンピューター暗号の開発に取り組む先生が大阪大学に在籍されています。実はすでに、耐量子コンピューター暗号が使われ始めていて、私たちの日常生活に量子コンピューターに関連するような技術が導入されてきているんですよ」

 さらに根来准教授は、量子コンピューターのために培った技術をセンシングに活用する研究にも取り組む。具体的には医療で用いられる「MRI」の高感度化がテーマだ。通常は捉えられない物質の検出感度を1万倍に高めることに成功しており、「薬が体のどこで、どんな風に効いているか、代謝の様子がリアルタイムで分かるようになる。きっと医療が激変する」と期待する。計算やシミュレーション以外にも、幅広い場面・用途で量子コンピューターに関連するような技術の活躍が期待できることは間違いない。

目指せ、1,000量子ビット!その先に、社会実装の扉が開かれる

 とはいえ、量子コンピューターが実用可能なコンピューターとして完成するのはまだ20年以上先だと予測される。現在、動作しているシステムは、量子特有のノイズにより一定確率で発生する計算エラーの訂正機能を持たないNISQ(Noisy Intermediate-Scale Quantum Computer)と呼ばれるもの。量子エラー訂正機能を実装した量子コンピューターのことを「誤り耐性汎用量子コンピューター」と呼び、その実現に必要な量子ビット数は10万から100万量子ビットとされている。大規模化への壁は高い。しかし、「1,000量子ビットの可能性は見えてきた」と、根来准教授は表情を明るくした。

 「実際のところ、量子コンピューターがどのように社会の役に立つのかは僕自身も模索段階です。まずは、量子コンピューターの性能を高めて、100量子ビットを実現する。100は手が届きそうなんです。1,000も、なんとなく見えている。1万は…まだちょっと考えられないですね」

 量子コンピューターを取り巻く研究開発の現場では、今ゴールドラッシュを迎えている。「夢の計算機」の実現をめがけて、世界中の研究者が我先にその性能を飛躍させんと情熱を燃やしている。やはり先駆けているのはアメリカ。米IBMは2028年にエラー抑制、2029年にエラー訂正の量子コンピューターを発表する計画を打ち出しており、対して日本では2030年までに一定規模のNISQ量子コンピューターを開発するとともに実効的なエラー訂正を実証、2050年頃までに大規模化を達成し、エラー訂正に対応した誤り耐性汎用量子コンピューターを実現すると内閣府が立案した「ムーンショット計画6」には示されている。

 万能コンピューターとしての実用はまだ先であっても、それは気の遠くなるような未来の話ではない。この記事を読んでいる読者のビジネスに、日常生活に、量子コンピューターが介在する日はきっと訪れる。いつか新しい時代の幕が開けたときに、時代の波に乗れるかどうか。今からセンサーを張って知見を養い、できれば量子コンピューターを実際に体験してみる。そうすることで、この先行き不透明な時代を切り拓く新たな先見を得ることができるかもしれない。

  1. 出典:国立研究開発法人理化学研究所 
    量子コンピュータを利用できる「量子計算クラウドサービス」開始 -国産超伝導量子コンピュータ初号機の公開- ↩︎
  2. 出典:富士通株式会社 国立研究開発法人理化学研究所 
    超伝導量子コンピュータを開発し、量子シミュレータと連携可能なプラットフォームを提供 ↩︎
  3. 出典:大阪大学 量子情報・量子生命研究センター
    大阪大学に設置した超伝導量子コンピュータ国産3号機の クラウドサービスを開始 ↩︎
  4. 出典:国立研究開発法人科学技術振興機構低炭素社会戦略センター(2019)
    情報化社会の進展がエネルギー消費に与える影響(Vol.1)―IT機器の消費電力の現状と将来予測―↩︎
  5. 出典:内閣府 科学技術・イノベーション推進事務局量子未来社会ビジョン ↩︎
  6. 出典:内閣府 ムーンショット目標6 ↩︎

Interviewee: 大阪大学 量子情報・量子生命研究センター(QIQB)副センター長 根来誠准教授
Interview / Writing / Photo: Dialogue Staff