阪大生が、パナソニックのキーパーソンを直撃。社会の可能性を拓く、“感性価値”の意義を問う。
大量生産、大量消費時代の終焉とともに、物質的、経済的価値のみを追い求めるものづくりは衰退。つくり手の心で創造され、消費者の心を動かす“感性価値”を生み出すことは、21世紀のものづくりにおける、至上命題のひとつとなっている。2007年に、経済産業省は「感性価値創造イニシアティブ」を策定。2008年〜2010年を「感性価値創造イヤー」と位置付けて、感性価値創造の実現に向けた施策、「デザイン経営」などの指針普及に注力し、つくり手側、企業側の価値観変革に奮闘した1。
それから十数年。サステナブルやウェルビーイングといった言葉を通し、物心や社会の幸福を、持続的、多面的に実現する重要性が広く一般に普及。つくり手だけでなく、受け手となる消費者をも巻き込んで感性価値を問い、追求する時代が到来したといえる。
今回は、大阪の地で誕生し、日本と世界のものづくりをリードしつづけているパナソニック ホールディングスを訪問。オーディオブランド「テクニクス」事業や、大阪・関西万博出展を手掛ける小川参与と、大阪大学のイノベーターズクラブで次世代のものづくりに取り組む学生たちで、未来社会における感性価値の重要性や、その生み出し方について語り合った。
なぜ世界は、“感性価値”を必要とするようになったのか。
西野 パナソニックの前身である松下電器産業に入社され、長きにわたってパナソニックの、ひいては日本のものづくりを見つめてこられた小川さん。機能・経済的価値から感性価値へと、ものづくりの重心が移っていった時代の流れをどのようにご覧になっていますか?
小川 私が松下電器産業の音響研究所に入社した1980年代中頃は、高い品質、機能を有した均質な製品が評価されていた時代。当然ものづくりの現場も効率を重要視していて、人の感性を経済価値に転換するといった観点は二の次、三の次、といった立ち位置にありました。これはパナソニックだけでなく、どのものづくり企業にも共通するスタンスだったと思います。
成富 そういった価値観はいつごろから、どういった理由で変化していったのでしょうか?
小川 情報化、グローバル化が一挙に広がった2000年ごろから、変化の兆しが現れましたね。それまで日本企業も努力に努力を重ね、機能的で均質な製品を生み出すプロセスを磨き上げていたわけですが、それ一辺倒では大きな変革、ある種、自己破壊的ともいえるイノベーションが起きづらくなっていたんです。世界規模の変化の波についていくために、ものづくりも大きな方向転換をしなくてはならない。そんな危機感から、感性価値への注目が高まっていくのを感じていました。
西野 感性価値の定義は人や企業によって異なると思うのですが、小川さんやパナソニック ホールディングスの中では、どのような定義で感性価値を捉えていらっしゃいますか?
小川 データに基づく機能・経済的価値は合理的なもの。左脳で論理的に考えて生み出す価値だと考えています。一方で感性価値は人の感情やクリエイティビティ、アートを司る、右脳から生まれる価値。左脳と右脳、サイエンスとアートを融合させた先に、機能・経済的価値を土台にしつつも、高い感性価値を有した製品が生まれると思っています。
成富 感性価値の創造、サイエンスとアートの融合といった考え方は、パナソニック ホールディングスの中でも、2000年台に入って初めて生まれた考え方なのでしょうか?
小川 実は、そうではないんです。我々パナソニック ホールディングスの企業活動の根底には「物と心がともに豊かな理想の社会を実現する」という理念が元々存在しています。創業者の松下幸之助は、1930年代にすでに「心」に言及し、感性価値に重きを置くことを見据えていたんです。また私自身にも、3歳からピアノなどの音楽に親しみ、大学では生体工学を専攻して、音響研究所では音楽が人の心や身体に与える影響などを研究してきた身。音楽という感性的なものと、オーディオ機器などのハードを掛け合わせて新たな価値を生むこと、サイエンスとアートを融合させることを、入社時から普遍のテーマとして掲げていたんです。
西野 重要性に気づいている人はいたものの、まだまだ広がっていなかった感性価値という概念に近年ようやく光が当たり、広く社会に求められ始めたということなんですね。
小川 そうだと思います。社会問題が複雑化し、多様化が進む現代において、課題解決やニーズへの対応は、技術によるソリューション、イノベーションだけでは叶えられません。だからこそ、人の感覚や感性といった、人間のフィジカルの本質に立ち戻る必要性が出てきたということなんですね。
消費者の「ほしい」という気持ちは、感性に根ざしている。
成富 小川さんは、2014年に復活を遂げたオーディオブランド「テクニクス」の事業も手掛けられていますよね。その復活に合わせて取り入れた、感性価値を高めるものづくり手法などはありますか?
小川 アートとサイエンスを融合したものづくりは、私にとっても悲願の目標。会社も「感性価値の創造」という言葉を盛り込んだ経営方針をはっきりと打ち出していましたから、これはチャンスだと思い、ものづくりのプロセスに「音の決裁」を加えることにしたんです。
成富 「音の決裁」!それはいったい、どのようなものなんでしょうか?
小川 製品のスペックが、データや数値から見れば申し分ない状態になっていたとしても、私をはじめとしたサウンドコミッティのメンバーが聴いて「いい音だ」と感じなければ、ローンチしないという判断基準です。試聴室で音を聴いて、感動できるかどうか。その感性を重視し今までのものづくりのプロセスに加えました。
西野 「音の決裁」を取り入れたことで、製品づくりになにかしらの変化が生まれましたか?
小川 物理的なスペックも、もちろん大事なんです。ただ左脳を使って数字だけを見ていると、人は「この数値をクリアしよう」というゴールを設定してしまうんですね。ただ、感性価値を磨くとなるとそうはいきません。心に響いてくる音かどうか、という探求にはゴールがありませんから、ある意味際限なく製品をブラッシュアップしていける。そこから、思いもよらないイノベーションが生まれると考えています。
成富 「音の決裁」を自信を持って行うためには、その判断を下す人が自分のフィジカルを信用することが必要そうですね。
小川 そうなんです。スマホひとつでどんな情報でも得られる、数値化できる時代になり、私たちは身体的に得る情報や感覚の重要性を忘れがちです。でも本来人間は「自分はどう感じるか」「心地いいのか/悪いのか」で、物事を判断できる力を持っています。テクニクスにおいては、音の決裁を通じてそういった主体的な判断力を取り戻そうとしているわけです。
西野 データや数値に判断を委ねると安心だけれども、一方でそれは、主体的な選択を避けることにつながっているのかもしれないんですね。
小川 感性を拠り所にしたものづくりを行うのは、消費者の方々の心の動きを生み出すためでもあるんです。製品を購入する際、もちろんスペックを重要視する方もいらっしゃるとは思います。でも最終的に購入を決断する瞬間には「音を聞いて感動する」「感動したからほしいと思う」という心の動きが起こっているはず。そういった意味で、つくり手側が現実に人間の心身に起こっているフィジカルな部分を忘れないことが大切だと思っています。
成富 小川さんご自身が、感性を磨き、フィジカルな部分を忘れないために実践されていることを、ぜひ教えていただきたいです。
小川 私はジャズピアニストとしても活動しているので、なによりも大事なのはいい音楽をたくさん聴くこと。限られた時間の中でも集中してピアノを演奏すること。インプットとアウトプットの連続と継続で、自身の感性を保つようにしていますね。
フレームワークの中で、どこまでも自由に、革新を追い求める。
成富 小川さんの話を聞いていると、学生である我々も自分のフィジカルを信用できるように、感性や創造性を磨いていく大切さを実感させられますね。大学で専門的な知識や技術を得るだけでなく、多様な世界に触れて感性に栄養を与えるような活動も積極的にしていかなければならないな、と。
小川 道を歩いていたらたまたまひらめきが降りてきて、ずっと悩んでいた課題が解決する、といったことがあると思います。専門知識や技術などを蓄えつつ、感性を刺激するような活動を続ける。バランスよく、そして高速に左脳と右脳で思考を行き来させていると、こういったセレンディピティ、偶然の発見を得ることができるはずです。
西野 感性を大切にしよう!と思いつつ、ついついタスクに追われてそういった姿勢を忘れてしまうこともありそうです。小川さんは「左脳と右脳との間で思考を行き来させる」というスタンスを失わないために、普段どんな工夫をされているんでしょうか?
小川 ジャズピアニストとして日々磨いてきた音楽的な感覚を、ものづくりに持ち込むようにしています。ジャズにはインプロビゼーションという即興演奏のスタイルがあるのですが、これは始まりと終わりのかたち、こんな構成、というフレームワークだけ決めて演奏メンバーと共有して、そのほかはどこまでも自由に、その時の心の動きに従って演奏を構築する手法。ものづくりで言えば、コストや納期、品質やサプライチェーンなどが、このフレームワークにあたる部分です。ある一定の枠組みは大切にしながら、その中でどれだけ新しいことを描けるか。日々、それに挑戦し続けるようにしているんです。
西野 大学の授業や課題といった枠組みの中にだけ学びをもとめていてはダメだな、と考えさせられます。小川さんのおっしゃるフレームワークを自由に捉え、創造性を発揮すること、ときには組織などの枠組みを飛び越えてさまざまな人と出会い、対話し、コラボレーションをすることなどに、もっと積極的に取り組んでいきたいです。
大阪・関西万博を通じ、感性を揺さぶる体験を、こどもたちに。
西野 “組織を超えたつながりを持つ”という意味では、現在パナソニック ホールディングスとイノベーターズクラブでコラボレーション中の、「HAZAITHON PROJECT」は、私にとっても特に刺激的な課外活動になっています。
成富 西野さんと私が参加するこのプロジェクトの目的は、学生のアイデアとクリエイターのデザインの力で端材・不良品を新しい価値のある商品に生まれ変わらせること。まだ計画中の部分もありますが、端材を生かしたプロダクトを共同で開発し、大阪・関西万博のパビリオンに出展することを目標に動いているところです。
小川 弊社企業パビリオンの名称は「ノモの国」。“モノ”を反転させた“ノモ”という名前には、「さまざまなモノはココロの持ちようによってその捉え方が変わってくるものであり、モノはココロの写し鏡である」という考え方込められています2。ひとつのモノであっても、見る人や心の持ちようによって、あらゆる捉え方ができる。捨てられるしかなかった端材や役目を終えた家電などの製品をそういった目線で見つめ、感性価値を新たに与えていく。そんな我々のコンセプトと、イノベーターズクラブで継続的に続けられていた「HAZAITHON PROJECT」には共通項が多く、今回のコラボレーションに至りました。
西野 プロジェクトを通して、パナソニック ホールディングスの方々をはじめとしたものづくりのプロと対話することで、自分自身の感性が磨かれているな、と強く感じています。ひとつのアイデア、製品を見ていても、パナソニック ホールディングスの方々と我々学生とでは、着目する点や思いつくアイデアが大きく異なります。そうやって組織や属性の枠を超えて議論を重ねていくと、本当に思いもよらないイノベーションが生まれてくるんです。
小川 確かに私たちは学生の方々と比べれば、ものづくりに対する知識は豊富かもしれない。でもやはり組織としての慣例や当たり前に捉われて、知らず知らず創造性が狭まってしまっている部分もあるのだと思います。学生の皆さんは、フレッシュな目線で軽々とその枠を超えてくれる。そういった方々と共創を行えることは、パナソニック ホールディングスの成長にもつながるはずです。
成富 今日小川さんとお話をさせていただいて、私たち「つくり手側の感性」も大事にプロダクト開発を行っていきたいな、と改めて感じました。自分たちの目で見て、手で触れて、そのプロダクトをどう感じるのか。そういったフィジカルで主体性のある感性価値を、製品に落とし込んでいきたいです。
小川 そういった言葉を聞けて、本当に心強く思います。パビリオンのキャッチコピーは「解き放て。こころとからだとじぶんとせかい」。阪大生の感性と私たちパナソニック ホールディングスの感性がぶつかり合う過程で、パビリオンの持つ価値がより深まっていくことを期待しています。訪れたこどもたちの感性を揺さぶる体験、これまでになかった気づきや発見を与え、自分自身の可能性や創造性を解き放てる体験を、パビリオンを通じて実現していきましょう!
成富 本日は、現代のものづくりにおける感性価値の位置付けだけでなく、これからの世界、未来をより良いものにしていくために必要な感性価値の重要性についても、非常に濃いお話を聞くことができました。小川さん、本当にありがとうございました。
- 出典:経済産業省「デザイン政策の変遷」 ↩︎
- 参考:パナソニック ソウゾウノート『コンセプトは「ノモの国」。2025年大阪・関西万博キックオフイベント』 ↩︎
Interviewee:
パナソニック ホールディングス株式会社 参与
関西渉外・万博推進担当 兼 テクニクスブランド事業担当 小川理子さん
工学部 応用自然学科 3回生 成富真さん
工学部 地球総合工学科 2回生 西野海里さん
Interview / Writing / Photo: Dialogue Staff